連山帰蔵経書 『 連山 』『 帰蔵 』は中国上古時代の二つの経書であり、『 周易 』とともに「三易」と称され、それぞれ神農氏、黄帝の時代の筮書として伝えられ、夏、殷の両代に用いられたとされる。 『周礼』の記載によれば、三易はいずれも 八卦 を根本とし、卦の数は同じであるが占いの方法が異なり、そのうち「連山」は山勢が連綿と続くことを意味し、「帰蔵」は万物が隠れることを指す。 後に 秦 の焚書により、完全な形で後世に伝わったのは『周易』のみとなった。 後漢の 桓譚 は、両書が蘭台と太卜に蔵されていたと述べているが、現在では原書はすでに失われたと広く考えられており、現存する記述の多くは漢代の劉歆が『 山海経 』に基づいて名付けたものや後世の偽作に由来するとされる。 梁元帝や隋代の劉炫らが同名の書籍を編纂したが、内容は占卜類の文献が混在しており、北宋の『古三墳』も偽作とされている。 現代の考古学的発見、例えば海昏侯墓竹簡などは、その考証に新たな手がかりを提供している。 『 易経 』の二つの版本について、二つの説がある。 一つは、『 周礼 』に「太卜は三易の法を掌る。 一に『連山』、二に『帰蔵』、三に『周易』と曰う」とあるというもので、この説では、『連山』は神農時代の筮書であり、神農はまた「連山氏」とも称され、『帰蔵』は黄帝時代の筮書であり、黄帝はまた「帰蔵氏」とも称され、後に夏は『連山』を用い、商は『帰蔵』を用い、西周で用いられた書には「周」の字が冠せられ、『周易』と名付けられたとされる。 もう一つの説は、 鄭玄 の『易賛』によるもので、「『連山』とは、山より雲の出づるが如く、連綿として絶えざるを象る。『帰蔵』とは、万物ことごとく其の中に帰蔵せざる莫きを謂う。『周易』とは、易道周普にして、備はらざる所なきを言う」とある。 それゆえ、『周易』の「周」の字の意味は「周普(あまねく行き渡る)」である。 現在では、『連山』と『帰蔵』はすでに失われたと広く考えられており、『周易』のみが、始皇帝の焚書の際に 李斯 がそれを医術占卜の書として分類したため、残存し広く伝播した。 名称の由来 以前の書物にはすでにこの二つの古い易書に関する名目がなかったため、『 周礼 』における『連山』『帰蔵』の記載は、漢代の劉歆が『山海経』の叙述に基づいて偽造した可能性があると推測する者もいる。...