阿頼耶識とは?( 副題 冥想によって得られる知識とは、どのようなものでしょうか? 不可思議な世界。 )
阿頼耶識は、冥想によって得られる知識です。
阿頼耶識(あらやしき、梵: ālaya-vijñāna、आलयविज्ञान)は、大乗仏教の瑜伽(ヨーガ)行派独自の概念です。
阿頼耶識は、個人存在の根本にあり、通常は意識されることのない識のことです。
眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識の8つの識の最深層に位置するとされます。
阿頼耶(ālaya )は、住居・場所の意であり、その場に一切諸法を生ずる種子を内蔵していることから「蔵識」とも訳されます。
「無没識」と訳される場合もあります。
阿頼耶識は、蔵している種子から対象世界の諸現象(現行法)を生じます。
生じた諸現象は、その人の阿頼耶識に印象(熏習)を与えて種子を形成し、刹那に生滅しつつ持続(相続)します。
阿頼耶識は、個人存在の中心として多様な機能を具えています。
他にも異なる名称で呼ばれます。
諸法の種子を内蔵していることから、一切種子識(sarva-bījaka-vijñāna)、過去の業の果報(異熟)として生じた点から、異熟識(vipāka-vijñāna)、他の諸識の生ずる基である点から、根本識(mūla-vijñāna)、身心の機官を維持する点からは阿陀那識(ādāna-vijñāna、執持識、執我識とも呼ばれます。
阿頼耶識は、《(梵)ālaya-vijñānaの音写と訳との合成》仏語。
唯識説で説く八識の第八。
宇宙万有の展開の根源とされる心の主体。
万有を保って失わないところから無没識、万有を蔵するところから蔵識、万有発生の種子 (しゅじ) を蔵するところから種子識ともいわれる心の本性です。
阿頼耶識(あらやしき、梵: ālaya-vijñāna、आलयविज्ञान)は、大乗仏教の瑜伽(ヨーガ)行派独自の概念です。
無自性(梵: निःस्वभाव (skt.), niḥsvabhāva)は, それ自身で孤立的に存在する本体もしくは独立している実体を「自性」といい, それを否定して「無自性」が説かれます。
無では, ない。
現代科学からすれば, 認識におけるホログラムのような「映写の映画」のようなもの?
ウパニシャッド(梵: उपनिषद्、upaniṣad )は, サンスクリットで書かれたヴェーダの関連書物で, 一般には奥義書と訳されます。
宇宙我は, 個人我の総和ではなく, 自ら常恒不変に厳存しつつ, しかも無数の個人我として現れるものと考えられたとされます。
仏教になじみの深い瑜伽,サーンキヤ学派(サーンキヤがくは、梵: साङ्ख्यदर्शनम्、Sāṅkhya-darśana)という観点から, 夢, 阿頼耶識(あらやしき、梵: ālaya-vijñāna、आलयविज्ञान)は, 大乗仏教の瑜伽(ヨーガ)行の概念では, 過去, 現在, 未来の仏, 自他の彼岸です。
