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年金流用のどこが問題か?

□ グリーンピア全国13力所中8力所は歴代厚相の地元に

族議員と役人による「年金寄生」の歴史

労働者年金保険法制定(42年)

戦後のインフレで年金積立金がパーに

改悪男性の受給開始を55→60歳に引き上げ (54年)

国民年金制度の施行(61年)国民皆年金体制が始まる

年金福祉施設の建設費に総額1兆5697億円を投入

田中角栄内閣が年金の給付額を2倍に (73年)

グリーンピアや住宅融資事業などが始まる。 02年度までに4兆円を投入

中曽根内閣下で年金3割カット (85年)

学生の国民年金強制加入(91年)

社保庁の交際費などへの“流用、が可能に。

02年までに1兆808億円を乱脈支出

小泉内閣が保険料アップと年金カット (04年)

社保庁が保険料で職員用のゴルフ練習場などを建設していたことが発覚

「消えた年金」問題発覚(07年)。未支給となっていた年金は判明しているだけで2兆7000億円超

社会保険庁解体、日本年金機構が発足(10年)

安倍内閣によるマクロ経済スライド発動 (18年)で年金受給総額は12年に比べ3兆円目減り

年金流用のどこが問題か?年金10兆円を散財した自民党と官僚80年史とは?

年金官僚による乱脈な使い込み、政治家によるバラ撒きと大規模リゾート施設の建設、そして5000万件の消えた年金記録⋯2000万円の老後資金不足を招いた政治家と官僚による「年金破壊」は、この国に年金制度が誕生した時から計画され、80年かけて実行されてきた壮大な収奪劇であった⋯。この80年の自民党や官僚のあまりにも杜撰な歴史。

「せっせと使ってしまえ」

戦時色強まる昭和15年(1940年)の秋、厚生年金(当時は労働者年金保険)の創設を発表する記者会見で厚生省の年金官僚・花澤武夫氏はこう演説した。

「労働者の皆さんが軍需生産に励んでこの戦争を勝ち抜けば、老後の生活が年金で保証されるだけでなく、いろんな福利厚生施設によって老後の楽しみを満たすことができる。年金の積立金の一部で1万トン級の豪華客船を数隻つくり、南方共栄圏を訪問して壮大な海の旅を満喫いたしましょう」

翌日の朝刊各紙は社会面に5段ぶち抜きで報じ、労働者年金は“夢の年金”を求める国民の声を背景に昭和17年(1942年)に創設。2年後に厚生年金と名称を変えた。

日本の年金制度は戦費調達が目的だったとされるが、正確ではない。年金官僚は年金資金でアウトバーンや労働者住宅を建設した同盟国・ドイツのヒトラーの手法に倣い、創設当初から流用を考えていた。

冒頭の「豪華客船演説」を行なった花澤氏は初代厚生年金保険課長を務め、引退後、『厚生年金保険制度回顧録』(昭和63年刊)でこう語っている。

『法律ができるということになった時、すぐに考えたのは、この膨大な資金の運用ですね。(中略)この資金があれば一流の銀行だってかなわない。今でもそうでしょう。何十兆円もあるから、(中略)基金とか財団とかいうものを作って、その理事長というのは、日銀の総裁ぐらいの力がある。そうすると、厚生省の連中がOBになったときの勤め口に困らない。何千人だって大丈夫だと。』

当時の厚生年金は保険料を20年支払えば55歳から受給できる積立方式で、花澤氏の計算では年金資金は60年間の総額が450億円(現在価値で350兆円)に上ると弾いていた。『二十年先まで大事に持っていても貨幣価値が下がってしまう。だからどんどん運用して活用したほうがいい。何しろ集まる金が雪ダルマみたいにどんどん大きくなって、将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課方式(注)にしてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ。それで昭和十八年十一月に厚生団を作ったのです。』

【*注/現在の高齢者の年金を、次の世代が納める保険料で払う仕組み。「世代間扶養」と呼ばれる現在の日本の制度】

厚生団は厚生年金病院や厚生年金施設を運営する財団法人だ。初代理事長は厚生省保険局長。年金制度ができたときから“天下り利権”がセットで用意されたのである。

『この戦争で勝てばいいけれども、もし敗けて、大インフレでも起こったら、でももうその時はその時だと。外国をみても、どこの国も積立金はパーになってしまった。』(同前)

すさまじい証言である。徴収した保険料は最初から使い果たすつもりだったことがうかがえる。

敗戦後のインフレで年金は実質「パー」になり、戦後の混乱の中で、軍需工場で働いていた人々の保険料納付記録が散逸し、現在に続く最初の「消えた年金」が発生した。

給付ばかりとりあげて、負担のことに触れない、流用ということに、勝手に決めるという、負担者不在の論議が何とも情けない。

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